Agriculture 3.0 -農業のエンターテインメント化-
「Agriculture 3.0」とは
SM(Social Media)での発信や農業体験などを通して、農業を「エンターテインメント化」することを「Agriculture 3.0」とここでは呼ぶ。従来の農業とは異なり、積極的に科学技術(特に、IoT)を取り入れようとする流れをAgriculture 2.0とした場合の、さらに異なる変化としてAgriculture 3.0とした。【概要】
昨今、日本の農業はいい意味でも悪い意味でも注目を浴びている。今後の変化の要因としては、科学技術の導入や自由貿易の締結が主であろうが、それとは異なった変化として、農業の「エンターテインメント化」について言及する。それは農業をインターネット上や現実世界でエンターテインメントや教育の一環として提供しようとする試みである。そのため農業のあり方の直接的な変化ではないかもしれない。しかし、今後世界を変えるであろうAIなどの技術発展を考慮すると、農業の「エンターテインメント化」は無価値なものではないと考えられる。【目次】
- 日本農業と異なる変化
- エンターテインメントの不変性
- エンターテインメントの消費
- 現実世界での体験の追求
- 農業とエンターテインメント
- おわりに
【本文】
1. 日本農業と異なる変化
今現在、農業の内部からの変化は起こりつつある。例えば、農業×IT(e.g. IoTの利用)は多くの企業が取り組んでおり、他にも、農地改革などの動きは数年前から生じている。外部環境に目を向ければ、TPPなどの諸外国との関係や食文化の変化などの変数が存在している。それらがどれほどの変化を生み出すのかは未知数ではあるが、今後の日本の農業の発展のためには何かしらの変化が必要であることは明白である。現状を鑑みると、日本農業に変革をもたらす可能性があるものは少なくない。その中でも「新たな」かつ「異なった」変化を生み出せる可能性を秘めているのは、「エンターテインメント」と「体験」ではないかと考えている。なぜ農業と、エンターテインメントと体験を組み合わせるのかと言えば、3つの理由が挙げられる。それは、「エンターテインメントの存在の不変性」、「可処分所得と時間の消費先としてのエンターテインメント」、「現実世界での体験の追求」である。
2. エンターテインメントの不変性
歴史的にも見ても、人が「エンターテインメント」を捨てることはない。そしてこれからもそれを追求し続けるだろう。ただそのエンターテインメントの表現方法は変化してきた。ひと昔前はラジオやテレビが主流だったが、いまではYouTubeなどのSM(Social Media)が若者を中心に発展している。そして、その発展は発信者の変化をもたらした。テレビ局などの大きな組織だけでなく、一個人もSMを通して発信することができるようになったのある。それにより、個々人が情報をエンターテインメント化し、(厳密には発信者が意図的にエンターテインメント化していることもあれば、自己顕示欲の延長線上の場合や他の意図が介在している場合もある)、大衆がそれらを消費するという構造がこの時代に生じた。端的にいえば、現代においては、エンターテインメントの多様性とある種の飽和が生じてはいるが、エンターテインメントの存在は不変であり、エンターテインメントの在り方は時代と共に変化しているのである。3. エンターテインメントの消費
前節において、エンターテインメントの存在の不変性と内容の変化を述べたが、本節においては「エンターテインメントの消費」を軸に述べていきたい。最低限の生活を確保した人々は、可処分時間や可処分所得をエンターテインメントに向けるようになる。(もちろん可処分所得等が教育や生活の質の向上に向けられることもあるだろうが、エンターテインメントもその選択肢に含まれる)特に、現代において可処分時間はキーワードになる。技術の進展により、人々は時間を得ることができるようになった。その傾向はAIなどの発展によりさらに加速するかもしれない。では、その増えた可処分時間はどのように日常で消費されるのだろうか。その選択肢として出てくるのが、エンターテインメントである。一言でエンターテインメントといっても、多種多様なものがあるが、その中でもインターネット上における消費対象としての内容は特異性がある。それは、手軽さ、無料、量の3つである。インターネットが使えれば、いつでもどこでも自由に、時にはお金をかけずに多くのものを消費できるのである。例としては、動画サイトのYouTubeが挙げられる。YouTubeでは、無料で世界中の人々が投稿した動画を視聴することができる。自分の可処分時間をYouTubeに費やしている若者は、YouTuberの最近の隆盛を見れば、少なくないことは明白である。ここで特筆すべきことは、インターネット上のエンターテインメントは、表面上は時間の消費だけであるが、お金の移動も付随して生じる可能性があることである。例えば、YouTubeの動画には広告が含まれていることがあり、また動画内で登場した商品を視聴者が購入することや、投稿者への直接的または間接的投資が生じることもある。ここまでを言い換えれば、増加した可処分時間や所得の消費先として、エンターテインメントは存在しており、インターネットを媒介としたエンターテインメントの消費がビジネスに繋がっているのである。4. 現実世界での体験の追求
3つ目の理由としての、「現実世界での体験の追求」をみていきたい。現実世界での体験とは、この物理世界での五感と肉体を使った体験のことである。例えば、海で泳ぐや山に登るなどが挙げられよう。しかし、新たな技術の創出により人々が経験するものが現実世界だけのものとは限らなくなった。ここ数十年の技術進歩には目覚ましいものがあり、特に、インターネットの発展は、異なる世界を生み出した。その流れは、現実世界を侵食し、いずれは飲み込む可能性を秘めている。しかし、どれほど技術が進歩しようと人はまだ肉体を捨てることはできない。どれほど仮想空間が発展しようと、フルダイブ型の“何か”が登場しない限り、人は肉体的な体験を求め続けることだろう。別の言葉でいえば、まだ科学技術は肉体的体験の全てを代替することはできないため、現実世界での体験の提供は依然として有効であり、AI等による技術進歩が招く奪取の危機を免れるということである。5. 農業とエンターテインメント
これまで3つの視点を述べてきたが、では、それらがどのように農業に関係するのであろうか。2). エンターテインメントはそれ自体の内容や表現方法が変われど、どの時代でも求められており、またインターネットやSMの出現により、個々人が提供者側になることができるようなったことから、農業をインターネット上で情報に加工し発信するという可能性が生まれた。農業のエンターテインメント化は、“DASH村”という形で以前にもあったが、まだインターネット上で社会に認知されているほどの強い競合者はいない。もちろんテレビで成功したからといって、それを単純にインターネットやSMに持ってきても成功するとは言わないが、選択肢としては存在する。また、3). 若者を中心に、可処分時間をインターネット上のモノ(主にSM)に費やす割合が増加しており、そこにビジネスが生じていることから、農業やそれに付随するもの等などを、エンターテインメント化することができれば、直接的(生産物の広告としての機能)、間接的(広告収入)にビジネスに寄与する可能性がある。ただ「エンターテインメント化」は一農家だけでは難しいだろう。そのため、若い農家が団結して地域としてやる必要があるが、インターネット上のモノはその特性を活かし、異なる地域の人たちが組んで行うこともできる。(例えば、東北の農家と九州の農家が組めば、内容に多様性が生じるであろう)2). と3). ではインターネット上でのエンターテインメント化を軸に述べたが、必ずしも仮想空間上だけとは限らない。現実世界においてもエンターテインメント化することは可能である。4). では、現実世界での体験の提供がまだ廃れることはないことを述べたが、それを考慮すると、農業を体験や教育の一環として提供することはビジネスとして今後も成り立つ可能性が高い。もちろん既に農業体験の商品化は行われている。そこでは、農業をどのように提供するかも重要だが、提供する際は農業だけでなくその周りの環境も含め包括的に提供することもできるだろう。その点を考慮すると農業だけでなく、地域活性化に寄与できる可能性がある。6. おわりに
「新たな」かつ「異なった」変化を生み出せる可能性として、農業の「エンターテインメント化」について述べてきた。農業をエンターテインメントや教育として提供することにより、直接的または間接的な影響を生み出す可能性があることを示唆してきた。だがこれは農業の全体的な変化を生み出さないことには留意したい。消費者がどのように反応するかは分からないが、「パイ」は農家全体を覆うほど大きくないと考えられる。しかし、農業の「エンターテインメント化」は、現代の潮流や今後の世界を考慮に入れても、有意性を持つと考える。筆者は農家ではないため、この提案が農業関係者にどう受け取られるかはわからない。無知な若造の夢物語と捉えられる可能性の方が高いかもしれない。しかし、日本の農業に変化が求められていることは紛れもない事実である。周りの話を聞く限りでは、我々は政府に頼る傾向が強いように感じる。戦後の発展を考慮すれば、政府主導での変化は有意性もあったであろう。また農業の性質を考えれば、一個人や一つの地域で出来ることは多くないのかもしれない。しかし、他人任せではなく、一人一人が「考え」そして「行動」していく時ではないだろうか。危機のときこそ変化を生み出す機会である。この異色な提案が、一助になれば幸いである。
70歳というお歳で、留学にきて英語を学んでいたKさんを見習い、色々なことに挑戦しようと思い、今回このブログを初めてみました。
このブログは、日々の生活の中で思ったことや考えたことを中心に投稿していく予定ですが、ポップなものから論文調のものまで幅広く投稿すると思います。ブログとして書きますので、そこまで裏取りをしたりデータを載せることはありません。その辺にいる若造の戯言程度に読んで頂けると幸いです。
ブログの経験がないため、分かりづらい内容・表現があるかもしれません。
(PCで書いているので、スマホだと見づらいかもしれません)
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